『いま、地方で生きるということ』西村佳哲/ミシマ社 | 砂場

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本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

$砂場-いま、地方で生きるということ

震災後の東北、そして九州を訪ね歩く。震災直後に東北に入りボランティアとして活動する人。その地でコミュニティスペースをつくる人、町に住みながら一緒にまちづくりをする人。取材するのはその地で生まれ育った地元の人ではなく、何かのきっかけでその土地に入り仕事をする人たちだ。そこで働き生きる姿、そこで発せられる言葉を受け止め、地方で生きる意味を問い直す。

僕みたいなごく普通の人間でもそういう教育を受けてくれば、非常時もこうして動けるし、死なないようにできるし、人の役にも立てるし。P60

震災直後の東北。災害救助、緊急支援のプロである人たちが登場する。混乱する災害現場に乗り込み限られた人数と資源にて早急に支援体制を整える手腕など、ぼんやりとした日常を過ごしている私から見ると神業のように思える。生き延びる力。それは人が人として持つ根源的な力なのだろう。生命力を持つ人たちのタフな姿と自分を比べてしまう。

それぞれが「どこに行っても大丈夫」なぐらい自立していて、それで何か一緒にした時、本当に面白いことができるんじゃないかな。P92

なんかいろんなものを抱え込んでしまったけど、もう一度、一個一個小さな塊に戻して、いろんな人に手渡してゆく作業をしないといけないと思っているんです。
いちばん小さな単位で「家族」とか、あと「町内」とか。P172


コミュニティースペースやまちづくりに携わる人たちも自立している。けれど「生き延びる」とは違い「どう生きるか」という問いを抱えながらの活動は、確固たる自信のある人からゆらぎのある人まで様々だ。タイトルに「地方で生きる」とあるが、ひとくくりにできる「地方」という場所はない。これはグラデーションではなくまだらな濃淡だけど、農村部や山間部で自然と一体感のある人ほど自分自身の感覚に自信があり、地方の中でまちづくりとして「町」や「人」に関わっている人たちのほうが悩んでいるように見える。ここでも身体の感覚を基盤にできた人の強さを感じる。けれど答えが見つからない人たちにこそ共感して、もっとその人の話をききたいとも思う。

この本は読むことによって「地方で生きる」ための答えがでるという本ではなく、今この場所で自分がどう生きるか問い直されているような感覚になる。僕がここに引っ越してきて、だからこそ読んだのだが読むほどに答えは遠くにあることに気づかされる。

中央でないことは確かだが、今いる場所が地方なのかよく分からない。ここよりは都会だけど、今まで住んでいた場所も地方のような気もする。もっと具体的に地方でこんな事がしたいとか、地方でなくともこの場所でやりたいことがあるという人なら、より深く読み込むことができるに違いない。

僕はちょっと漠然とし過ぎいている。だから読後に思い浮かぶ言葉も抽象的なものに留まってしまう。ここに土地があり、わたしがいて、わたし以外のひとがいる。全てがそこから始まることは確かだなとか。いつか再読したい。

「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」(『人間の土地』サン=テグジュペリ)