『「認められたい」の正体』山竹伸二/講談社現代新書 | 砂場

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本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。



誰かに認められること。自分で自分を認めること。人は承認を欠いたとき、心が不安定になり、自分を見失っていく。そこに承認があれば、苦しい状況でも絶望に捕らわれず生きていける。誰からも認められなければ、どんな栄光を手にしても虚しい。

この本では現代社会がいかに承認を得ることが困難であることを丁寧に検証していく。昔、友人に「なんで人は宗教なんて信じるんやろうなあ」と何気なく聞かれて困ったことがあった。その時は「まあ、どうしようもない事があったら神頼みしかないからなあ」と適当に答えてしまったが、「それは自分を認めて欲しいからやな」と承認の重要性について語っていれば、その友人は数年後にネッ○ワークビ○ネスに片足突っ込んだりしなかったかも知れない。

宗教的信仰は大きるゆらぎ、政治的イデオロギーへの信頼も失墜し、文化的慣習も流動的になっている。社会に共通する価値基準は崩壊し、価値観は多様化しているため、自己価値を測る価値基準が見出せない。一方で、自分らしく生きるべきだ、という考え方も広まっているが、なかなか「自分はこれでいい」と思えない。そのため、身近にいる他者の直接的な承認にすがるよりほかに術がないのだ。
P132-P133


この生きづらい社会をいかに生きるか。最終章はそのための方法として「自己了解」と「一般的他者の視点」という二つを提案している。自分の不安や欲望に気づき、それを分かった上で自分の行動を決定する(自己了解)。今までと同じことをするにしても、自分で選んだことにより、自由であるという意識が生まれ、また改善の余地が生まれる。そして、多様な価値観を受け入れ「一般的他者の視点」を身につけることにより、身近な人間の特定の価値観にだけ縛られないようにする。これらを実践する方法がかなり詳しく書いてあり、この章だけで、凡百の啓蒙書よりも役に立ちそうな内容になっている。

読んでいて、思いだした三木卓と福田恆存の言葉を引用しておく。

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。
『人生論ノート』P64

なんぴとも孤立した自己を信じることはできない。信じるにたる自己とは、なにかに支えられた自己である。私たちは、そのなにものかを信じているからこそ、それに支えられた自己を信じるのだ。
『人間・この劇的なるもの』P102

こうしてブログをしているのも認められたいからなのだろうなと、常々思う。他者と自分と。



■引用元
人生論ノート (新潮文庫)
人間・この劇的なるもの (新潮文庫)