『当マイクロフォン』三田完/角川文庫 | 砂場

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本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

当マイクロフォン (角川文庫)
三田 完
角川書店(角川グループパブリッシング) (2011-08-25)
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ひとりの人間の人生を読んだ。

ドラマ「鬼平犯科帳」のナレーション、浅田飴のCM、ラジオ「にっぽんのメロディー」など、その独特の語り口調で多くの人を魅了したNHKアナウンサー中西龍の生涯を描いた小説。過去を遡りながら中村龍を描くパートと、現在NHKに在職するディレクターから見た中村龍の姿、というパートが交互に描かれる。著者は元NHKのディレクターなので、この人物は自分がモデルなのだと思う。名前も三田をもじって二村となっている。

東京都港区の区長の長男として産まれた中西龍(「りゅう」、ではなく「りょう」と読む)。裕福ではあるが幼い頃に母を亡くし、継母の元で不遇な幼年期を過ごす。物語は中西龍がNHKに就職した時期からを中心に描かれる。

「たくましい意欲は持ち合わせていませんが、どうか明日の波風よ静かであれ……と希っています。激しさをともなく喜怒は不要ですが、しずかな哀楽は欲しいと思います。人生の真実は、ひそやかなもののなかにこそ宿るというのが、わたくしの信念だからです。」P69

きっと中西龍の生涯は後悔で溢れているのだろう。これらの言葉とは裏腹にその人生は喜怒が際立っていた。初赴任先の熊本に内縁の妻と共に着流しで降り立ち、先輩の度肝を抜く。個性的で、やさしく涙もろい人柄と、女癖の悪さはこの頃から晩年まで変わらない。その語りで人気と評価を得ながらも、問題社員であった中西龍は地方局を流転することになる。これらの言葉は、自戒を込めて発した分けではないだろうけど、その理想と現実に引き裂かれて、いつも悶え苦しんでいる姿がある。

「まったく、気が利かない女で困ったもんです。淳ちゃん、女がね、いうことを聞かないときは、殴るにかぎります」P126

この序盤にでてくるDV発言など、読みながら中西龍が善人なのか悪人なのか判断できず、物語に共感しづらく思えた。けれど、読み終えて思うことは、そんな区別に意味などないということだった。この人はこんな所が駄目で、こうすればよかったとか、せっかくの才能がとか、こうすればもっと幸せになれたのにとか。人が生きることをそういう視点でしか、幸福であるかないかでしか人生を語れないことが、いかに虚しいことか。自分の才能が認められないことに苦しみ崩れていく姿と、その夫に必死に寄り添い生きていく妻、その才能と人柄に惚れ込んでいく二村。中西龍と共に生きる人たちとの濃密な関係に、僕の許す許さないという感情が入る余地などなかった。僕は誰かの人生を評価するために本を読んでいるのではないと思い知らされる。中西龍というひとりの人間の人生にただただ圧倒される。

「……一日に一編、はかないこと、哀しいことを詩に書いて、それで暮らしがなりたつならば、どんなにか幸せな人生でしょうねえ、二村ちゃん」P105

「当マイクロフォン」というのは、中西龍がラジオでつかう一人称代名詞です。「わたしは」という変わりに「当マイクロフォンは」と語ります。喜怒よりも、哀楽を慈しむ人の心に深く染み入る、哀楽ではなく喜怒に人生が突き動かされる人の姿が心を揺さぶる、「当マイクロフォン」はそんな小説です。