『雲をつかむ話』多和田葉子/講談社 | 砂場

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$書店員失格
『雲をつかむ話』多和田葉子/講談社

主人公の女性が偶然一度だけ出会った奇妙な男がいた。後日、その男から手紙が届く。それは刑務所からの手紙で、その男は終身刑に服していた。自分の人生とは無関係だと思っていた「犯人」という存在が、とても身近なものであることに気づかされる。それから主人公は今まで出会ったことのある、犯人について記していく。殺人犯、窃盗犯、無賃乗車、政治犯。あくまで自分が知る範囲なので、その事件の全容は分からず雲をつかむような話ばかり。

日本人作家であるけれど、海外小説を読んでいるような気分だった。僕の数少ない読書経験に照らしあわせると、文体としてはリディア・ディビス『話の終わり』に近かった。自分の心情と目に見えていることを丁寧に描き、そこにこうではなかったのかという想像が入り込んでくる。必然ではなく、ただただ偶然によって始まって深まっていく出会い。何があったのか分からず尻切れトンボで終わるエピソードの数々。神の視点ではなく、一人称から見える世界の不完全さ。

全体を見れば曖昧だが、そこに存在していることは目に見えている。その細部をためらいながら確かめるように言葉に置きかえていく。ああ、雲を書いているのだなと思う。定規で線を引くように正確に文章を書き込んで行く人もいれば、フリーハンドで流れるような言葉を生みだしていく人もいる。この文体はフリーハンドだが、その言葉はグルグルと渦を巻くように中々前には進まず、けれどゆっくりと位置をずらしていき、いつしかその渦が重なってやっとカタチのようなものが見えてくる。

 手紙の返事を書こうとしてもなかなか書けない時、つい日記をひろげてしまう。悪い癖だと思う。手紙は一人の人間に向かって真っ直ぐ飛ばさなければならない紙飛行機のようなもので、紙とは言え、尖った先がもし眼球に刺さってしまったら大変。責任を持って書かなければならない。責任を気にかけすぎると、書きたいことが書けない。それで、とりあえず責任のない日記をひろげてしまうのかもしれない。日記を前にすると頬杖がつきたくなる。頬杖をつくと、顎がかくっと上に向けられ、窓ガラスを通して青い空が見える。
P23


文章の素晴らしさに心奪われ、雲をつかむような話に入り込んで雲の中でフワフワしていたら最後の章で目にしたのは、思いもよらない景色だった。どうやら思っていたよりも、僕は遠くに連れて行かれていたらしい。読み終えて本を閉じて表紙をじっと見る。まだ雲の中にいるような気がする。